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イタリアの風:Chigusa Kuraishi Blog

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イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相が12日、入院先の病院でお亡くなりになりました。86歳でした。

シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相がお亡くなりになった。建築業、民放局のテレビ・新聞・出版の「メディア王」、政治家、ミランの会長、その後モンツァの会長・・・人の4倍、5倍の職業を持っていた。影響力の非常に大きな人物だった。イタリアの一つの時代が、彼と共に終わったと言える。ミランは多くのタイトルを獲得し、一番成功した会長で、日本人の本田圭佑さんが、まだベルルスコーニ会長がミランの会長だった時にミランに在籍した。私は2007年、アテネでミランがチャンピオンズリーグ優勝を果たした時に、アンチェロッティ監督だったが、現地で取材できたのは最高の思い出だ。インザギの2ゴールでリバプールを2−1で下し、7度目の優勝を果たした。アリゴ・サッキ監督と、オランダ人の選手たち(フランク・ライカールト、マルコ・ファンバステン、ルート・フリット)のミランは、多くのファンを魅了して、日本人がミラノにミランを追いかけて、移り住むほどの影響力があった。私が近くで初めてベルルスコーニ会長にお会いしたのは、元日本代表MF中田英寿が、パルマの選手だった時に、ホテルで昼食後にお昼寝の休憩をしていた。その階はすべて貸切で、全身黒のスーツを着た護衛がたくさん部屋の外で待っていた。直撃取材で、話しかけたが、すぐに車に乗り込んで行ってしまった。中田英寿さんもミランに移籍しそうだったが、もしパルマでなく、ミランに移籍していたらどうなっていただろう。その後、ミックスゾーンで何回か話しかけて、話したことがあった。駄洒落を交えたお話が面白い人であった。カーサ・ミランが建築された時に感じたが、どこにもないような最先端のテクノロジーを使用したミランの歴史を語る部屋や、ペリコプターの展示、斬新なデザイン、とにかく、ベルルスコーニ元会長は、時代を先取りしていたイノベーションの人であった。インタビューしたい人でもあったが、その機会がなくて残念だった。ご冥福をお祈りする。
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# by Art-Chigusa | 2023-06-13 23:41 | Sports

イエスの聖衣とフランシスコの僧衣 La TUNICA e la TONACA

1990年ペルージャの外国人大学に留学した私は、Torre degli Sciri (プリオリ通り)の当時は修道女たちが経営している女子の寮に住むことになった。La Torre degli Sciriは中世の塔で1200年から1300年ごろの古い歴史のある建物。1488年にはバリオーニ家の貴族オッドの家の一つだった。1680年にルチア修道女が、親のない女の子や、貧しい少女たちを集めて、祈りを捧げながら、フランチェスコ会の指導のもと仕事を教えて生活していた。その後、献身的な修道女S.Filippo Neriが、継いでいた。私が留学した1990年もこの建物はサン・フィリッポ・ネーリと呼ばれていた。2011年10月24日修復し、ウンブリア州、ペルージャ市が、管理することになったようだ。
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1990年に初めてペルージャを訪れた私は、まず、この中世の塔に私がペルージャに到着する前に日本から留学されていた、テクラ大岩シスターを頼って、ここに宿泊することになった。(それがテクラ大岩シスターとの出会いであった。その後何度も日本で、アッシジで、ローマでお会いして、今も交流させて頂いている)このサン・フィリッポ・ネーリ(La Torre degli Sciri)は、3食付きで、修道女がお掃除もしてくれて、本当に恵まれた環境だった。門限が20時は厳しかったが。シチリアやカラブリアから大学生の女の子たちも留学していた。初めてくぐった門を開くと薄暗く、春だったが少し肌寒かった。テレビを見る部屋もあったが、白黒だったのでびっくりした。
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さて、最近FACEBOOKを見ていると”Buongiorno Brava Gente”と叫んで、アッシジの朝の風景の動画とともに、聖書のお話をしてくださるEnzo Fortunato神父様がいらっしゃった。(今はアッシジから他のところへ移られた様子)時々拝聴、拝見している中で、この神父様が、「イエスの聖衣とフランチェスコの僧衣」の本をお書きになったのを知ってすぐに読んだら、とても感動した。しかも表紙がトランスアバンギャルドで有名なMimmo Paladinoではないか。私は、聖フランチェスコの”Cantico delle creature” 「被造物の讃歌」 がとても好きで、聖キアラが命をひきとったサン・ダミアーノ教会で、その場所に行ったら、とても強い感じるものがあって、神秘体験をした。毎年、お友達とかつて聖フランチェスコとその兄弟たちが瞑想した「カルチェリの庵」も新年に行くと、すがすがしい気持ちになる。アッシジのフランチェスコ(1182−1226)は知らない人はいないと思うが、フランチェスコ会の創設者でカトリック修道士。裕福な毛織物商の家に生まれたが、全てを捨てて、僧衣一枚で、祈り道に入った。この本には、聖フランチェスコのつぎはぎだらけの僧衣のそのつぎはぎの布が、聖フランチェスコを生涯支えた、聖キアラの僧衣をあてがっていたというもの。
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私はこの話をすでに日本に帰られて、女子パウロ会の出版のお仕事をされているテクラ大岩シスターにして、本を日本へ送って、日本語にして多くの日本人にも読んで欲しいと申し上げたら、すぐに訳してくださった(太田綾子さんの訳)、こうして日本語の本も出版された。テクラ大岩シスターありがとうございます。Padre Enzo Fortunato神父様ありがとうございます。日本には、裂き織りやつぎはぎの着物がたくさん残っており、それは現代でも美しい価値がある。金継ぎも壊れたものを捨てないで、より価値を高めるという世界に誇る文化がある。ものが溢れる現代、経済危機と戦争の複雑な状況の中で、考えさせられる本だと思う。みなさん読んでください。
# by Art-Chigusa | 2023-02-28 19:51 | 私のメモから

Addio a Mr. Ilario Castagner

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ペルージャの名誉会長だったカスタニエール元監督がお亡くなりになりました。2023年2月18日、ペルージャのホームでのダービー、テルナーナ戦の試合中に、息子フェデリコさんから連絡が入りました。(ペルージャは3−0でこの試合に勝ちました)1998年中田英寿元日本代表選手がペルージャに移籍した時に、中田選手を育てた監督です。中田選手は、その後、ペルージャでボスコフ監督、パサレラ監督、ASローマでカペッロ監督、パルマでプレンデッリ監督、フィレンツェでモンドニコ監督、ボローニャではマッツォーネ監督など、本当に多くの優秀な監督と仕事されました。そのプロ意識、独特の美意識、「決して倒れない」強靭な意志は、高く評価され、それぞれの監督たちと強い信頼関係を築いていました。それでもカスタニエール監督が一番中田選手を活躍させることができたと私は思います。カスタニエール監督は、選手時代にはFWだったので、攻撃的なゲームが印象的です。中田選手はピッチを蛇のように敵のマークをすり抜けて走り、正確なドリブルで駆け抜け、精度の高いパスで、ファンを魅了させていました。ゼ・マリア、テデスコ、オリーヴェ、ペトラーキなど優秀な選手たちが、中田選手を支えて、小さなクラブながらも、観ていて楽しめるいいサッカーをして、時にはユベントスやミランなど強いチームにも負けない団結と強さを持っていました。カスタニエール監督は、記者たちからも慕われていて、監督は「シニョーレ」と言われていました。このシニョーレには色々な意味があります。尊敬語ですが、聖書の神の意味も含みます。簡単に言えば、英語ではジェントルマンのことですが、カスタニエール監督は、誰に対しても、優しく、敬意を持って接する人でした。今や日本代表や女子サッカーの活躍で日本のサッカーは一目置かれるようになりましたが、当時はまだサッカー的には遅れていた日本の記者たちとも、カスタニエール監督はいつも敬意を持って対応してくださったのを覚えています。私は当時サッカーについて知識が浅く、いつもイタリア人記者たちの背後で質問を聞いていて、ほとんど監督に質問しないでいたことが多かったのですが、しばらく経ったある日、ほどんどの記者がいなかった時に、当時は若く、好奇心旺盛でサッカーへの興味に満ちて勉強していた私が、監督に色々質問した日がありました。監督は「君はやっとエキスパートになってきたね」と言ってくれたのです。とても嬉しかったし、なんと励みとなったことでしょう。それは監督が「シニョーレ」だったから、その寛大さと日本の文化への理解があったからでした。もちろん中田選手がまず監督から絶大な信頼と敬意を持たれていたから、私たちも仕事がやりやすかったのは言うまでもありませんが。その後監督とは、TVのコメンテーターをされていた時スタジアムでお会いしたり、お元気な姿を拝見していました。ペルージャのためにサッカーを超えて、多大な貢献をされたカスタニエール監督のご冥福をお祈りします。カスタニエール監督と中田英寿選手の情熱のペルージャの思い出は決して忘れないで永遠に私の心に残っています。カスタニエール監督ありがとうございました。
# by Art-Chigusa | 2023-02-22 19:14 | Sports

ウクライナ

元ウクライナ代表FWで、ミランで大活躍し、パロンドール受賞した、現在ウクライナの監督シェフチェンコは「私の仲間や家族が攻撃を受けている」「戦争はその答えではない」とSNSで平和のメッセージを送っている。ミランの在籍中、日本の新聞のためにインタビューをした時のことが今も忘れられずに、私の脳裏にはっきりと刻まれている。チェリノブイリの時の体験を語ってくれたからだった。まだ少年のアンドリューは、何が起きたのかはっきりわからないまま、その当時住んでいた家を早急に離れた体験を語った。ウクライナは歴史的にロシアとは違うストーリーを持っている。穏やかな優しいアンドリューにはそんな悲しい苦労があった。その後私は、何回かその若い時にチェリノブイリの核被害にあった人が、今になって病気になったという話を聞いて、そのインタビューを思い出していた。ウクライナの運命を祈らずにはいられない。ボローニャの監督で、元セルビア(旧ユーゴ)ラツィオ、インテルなどで左利きのMFで、完璧なFKを直接ゴールを決めて感嘆させたミハイロヴィッチ監督が、昨日会見で絶句して涙した。「戦争は我われよりも大きい」クロアチア独立戦争の時に、シニシャの家がクロアチア軍に破壊され、その中には幼い頃の友がいた。その戦争で父を失っている。そんな複雑な過去が、いっそうシニシャを人間的に魅力的な人にしている。彼の言葉には重みがある。
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# by Art-Chigusa | 2022-02-26 19:03 | Sports

ここ数日のアトリエ 5ユーロの寄付の感動と驚き

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4月からペルージャの中心街にルネッサンスの時代にはペルジーノやラファエロがいた(彼らの使ったアトリエというよりも馬小屋だったかも、でも中世の芸術家たちにゆかりが深いノービレ・コッレッジョ・デッラ・メルカンツィアの建物を貸してもらっている)アトリエを構えて、毎日制作している。私の前に借りていたのは、ペルージャの職人さんだった。重要なペルージャ市の建物の内装の家具などをつくった木工芸の作業場だった。アトリエには特に子供たちが通りかかり、大声で、「ベッロ!:美しい」と感嘆してくれたり、若い子たちが「ここは日本人のアトリエなんだぜ、何てフィーゴなんだ!」と囁く。このフィーゴは英語のクールのような言葉で何よりも私を幸福にする称賛である。でもそれよりも驚いたことがある。農業大学の学生が、「あまりにも美しいこれらの作品を観せてくれたあなたに何かオファーしなければいられません」と言って5ユーロを置いて行ったこと。その価値は企業が5ミリオンオファーしてくれるよりも私には大きいって感じ。日本ではアトリエに若い学生が寄付するってことがあるだろうか?そして、若い青年たちが、彼女のためのプレゼントに絵を送るのだ。それは私にとって新鮮な驚きで、そういう体験をさせてもらえるアトリエに感謝する。友人が「千種のお城」って呼んだけど、私は「神殿」と呼びたい。日々感動を与えてくれるポジティブなエネルギーを感じる場:私のお城、私の神殿。女性たちも、どこか東洋の雰囲気のする私の絵に魅力を感じて、最高の選択をしていく。欲しい絵は他の人も欲しい。欲しいという作品は集中する。でもどれも1点しかつくらない。岡本太郎先生は、「絵描きに芸術家は一人もいない」と言っているが、それは本当かもしれない。「私はデザイナーをしていた時期も長かったので、オーダーの絵も引き受ける」自分は誰か?それをずっと探している、人が言うことは気にしない。自分は自分。したいことをして、つくりたいものをつくる。最近自分がつくってきた作品が私に気づかせてくれたことがある。私の作品には何か自然や宇宙を感じさせるものが多いということ。ブルーと金が多く使われること。色については次回またブルーについて書きたい。私の作品を褒めてくれる人たちに感謝しつつも、周りに影響されずに、本来の自分、本質的な自分の実験・研究を見失わずに、静かにじっくりと進めていきたい。
# by Art-Chigusa | 2021-11-01 18:33 | Art アート
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ペルージャ在住 アーティスト


by Chigusa Kuraishi
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