1990年ペルージャの外国人大学に留学した私は、Torre degli Sciri (プリオリ通り)の当時は修道女たちが経営している女子の寮に住むことになった。La Torre degli Sciriは中世の塔で1200年から1300年ごろの古い歴史のある建物。1488年にはバリオーニ家の貴族オッドの家の一つだった。1680年にルチア修道女が、親のない女の子や、貧しい少女たちを集めて、祈りを捧げながら、フランチェスコ会の指導のもと仕事を教えて生活していた。その後、献身的な修道女S.Filippo Neriが、継いでいた。私が留学した1990年もこの建物はサン・フィリッポ・ネーリと呼ばれていた。2011年10月24日修復し、ウンブリア州、ペルージャ市が、管理することになったようだ。
1990年に初めてペルージャを訪れた私は、まず、この中世の塔に私がペルージャに到着する前に日本から留学されていた、テクラ大岩シスターを頼って、ここに宿泊することになった。(それがテクラ大岩シスターとの出会いであった。その後何度も日本で、アッシジで、ローマでお会いして、今も交流させて頂いている)このサン・フィリッポ・ネーリ(La Torre degli Sciri)は、3食付きで、修道女がお掃除もしてくれて、本当に恵まれた環境だった。門限が20時は厳しかったが。シチリアやカラブリアから大学生の女の子たちも留学していた。初めてくぐった門を開くと薄暗く、春だったが少し肌寒かった。テレビを見る部屋もあったが、白黒だったのでびっくりした。
さて、最近FACEBOOKを見ていると”Buongiorno Brava Gente”と叫んで、アッシジの朝の風景の動画とともに、聖書のお話をしてくださるEnzo Fortunato神父様がいらっしゃった。(今はアッシジから他のところへ移られた様子)時々拝聴、拝見している中で、この神父様が、「イエスの聖衣とフランチェスコの僧衣」の本をお書きになったのを知ってすぐに読んだら、とても感動した。しかも表紙がトランスアバンギャルドで有名なMimmo Paladinoではないか。私は、聖フランチェスコの”Cantico delle creature” 「被造物の讃歌」 がとても好きで、聖キアラが命をひきとったサン・ダミアーノ教会で、その場所に行ったら、とても強い感じるものがあって、神秘体験をした。毎年、お友達とかつて聖フランチェスコとその兄弟たちが瞑想した「カルチェリの庵」も新年に行くと、すがすがしい気持ちになる。アッシジのフランチェスコ(1182−1226)は知らない人はいないと思うが、フランチェスコ会の創設者でカトリック修道士。裕福な毛織物商の家に生まれたが、全てを捨てて、僧衣一枚で、祈り道に入った。この本には、聖フランチェスコのつぎはぎだらけの僧衣のそのつぎはぎの布が、聖フランチェスコを生涯支えた、聖キアラの僧衣をあてがっていたというもの。
私はこの話をすでに日本に帰られて、女子パウロ会の出版のお仕事をされているテクラ大岩シスターにして、本を日本へ送って、日本語にして多くの日本人にも読んで欲しいと申し上げたら、すぐに訳してくださった(太田綾子さんの訳)、こうして日本語の本になりました。テクラ大岩シスターありがとうございます。Padre Enzo Fortunato神父様ありがとうございます。日本には、裂き織りやつぎはぎの着物がたくさん残っており、それは現代でも美しい価値がある。金継ぎも壊れたものを捨てないで、より価値を高めるという世界に誇る文化がある。ものが溢れる現代、経済危機と戦争の複雑な状況の中で、考えさせられる本だと思います。みなさん読んでください。



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by Art-Chigusa
| 2023-02-28 19:51
| 私のメモから