イタリアの風:Chigusa Kuraishi Blog

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La Mostra di Edvard Munch

La Mostra di Edvard Munch

Sono andata a vedere la mostra di Edvard Munch
a Genova ,Palazzo Ducale fino 27 Aprile 2014

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ジェノバのパラッツォ ドゥカーレで ムンクの展覧会が行われているので、
観て来ました。
2013年11月6日から2014年4月27日まで

ムンク誕生150年を記念して、イタリアのジェノバ市が
ノルウェー人の巨匠ムンクを称える展覧会として、
Marc Restellini がキュレイターとして、企画し、
Palazzo Ducale Fondazione per Cultura
,Artemisia Group, 24 ORE Cultura-Gruppo 24 ORE,が協賛、
メインスポンサーはジェノバ商工会議所 と
Costa Crociere(コスタ・クルーズ:客船運搬会社)となっています。
エドヴェルド・ムンクの80点が集められています。

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有名な“叫び”:“L’urlo”は来ていませんが、
ミステリアスなMadonna 1895-1902を堪能することができました。
私が好きなマドンナの実物を観ることができて、とても嬉しい。
みていると、本当に偉大な傑作だと、感じてくる、魅力のある絵だった。
La bambina malata: The Sick Child も素晴らしかった。
この絵は、ソフィーというムンクの妹の一人が結核で15歳の時に亡くなったのですが、
その病床の枕についているソフィーの表情を捉えている作品です。妹の死は、
ムンクに大きな影響を与えています。常に死、病気、存在の恐怖を抱えて制作を続けていました。
「恐怖がなかったら、猟師が船に網を欠いていると同じだ」と発言しています。
「芸術は心の血」:Arte e’ sangue del tuo cuore…とも語っています。
Vampiro (吸血鬼)も興味深い、いい作品でした。

妹の死だけではありません。エドヴァルド・ムンクは5歳の時に、
母を結核で30歳の若さで失っています。ムンクは身近に“死”を実感しながら、
生きなければならなかった人です。恋が多かったことでも有名ですが、
彼の中で愛は永遠ではありえなかった。「昔の人が愛を炎に例えたのは正しい。
愛は炎と同じように、山ほどの灰を残すだけだからね」と語っていました。
そして生涯独身で通しました。数年ぶりに再会した以前の恋人のトゥラ・ラーセンと
トラブルになり発砲事件を起したことも知られています。ピストルを撃ったのが
2人のどちらかは不明ですが、左手中指の関節の一部を失うけがを負いました。
この頃から精神が不安定となり、アルコールにも溺れました。1908-1909のことです。
しかし1909年以後心身の健康を回復し、建築内部装飾も手がけ、
オスロ大学の講堂の装飾壁画は正面に太陽を描いていて、
「世紀末の不安を描いた画家のイメージ」とはかなり異なりますが、
明るい作品はあまり知られていません。

逆に主に1890年代に制作した、「叫び」「接吻」「吸血鬼」「マドンナ」「灰」などの
一連の「フリーズ・オブ・ライフ」が有名です。
「フリーズ」は西洋の古典様式建築の柱列の上方にある横長の帯状装飾で、
「シリーズ」に近い意味で使われています。テーマは「愛、死、そして愛がもたらす不安」を、
かなり当時はアバンギャルドな手法で特に石版画は独特のタッチで制作しています。
人物の表情を捉えることが素晴らしく、優秀で、表現主義的です。

キュレイターのレステッリーニ氏の言葉「ムンクは見えるものを描く。彼の恐怖のうえに、
芸術の新しいビジョンを示した。純粋なアバンギャルディア:彼の最も美しく、
感じた、愛した、苦しんだ作品がこの展覧会で観られる」
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by Art-Chigusa | 2014-02-25 18:07 | Mostra | Comments(0)

Andy Warhol Palazzo Reale Milano

ミラノのパラッツォ・レアーレで、ポップアートの旗手、アンディ・ウォーホル(1928-1987)
の展覧会が現在開かれています。3月9日まで。

ペンシルバニア州 ピッツバーグでスロバキアの移民の子として生まれ、
1950年代にニューヨークで、「ヴォーグ」などの雑誌広告やイラストですでに成功していました。
1960年、彼はイラストレーションの世界を捨て、ファインアートへ移行して行きます。
「バットマン」や「スパーマン」などコミックをモチーフに作品を制作します。
1961年キャンベルスープの缶やドル紙幣をモチーフに作品を描き、
ポップアートの誕生と言われます。
1963年マリリン・モンローの突然の死にあっては、映画「ナイアガラ」のスチル写真から
モンローの胸から上の肖像を大量生産しました。
1964年(35歳)からニューヨークにThe Factory 工場
と呼ばれるスタジオを構え、そこで代表作となる作品が次々と生まれました。
1965年(37歳) The Velvet Undergroundデビューアルバムのプロデュースを行っています。
有名な「バナナ」の作品が生まれました。
1968年(40歳)S.C.U.P(Society for Cutting Up Men)
のメンバーだったバレリー ソラナス という女性に拳銃で狙撃されました。
3発のうち1発が左肺、脾臓、胃、肝臓を貫通、重体でしたが、一命を取りとめました。

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スターのイメージや商品、ドル記号など、アメリカの社会に流布するシンボルを
作品化することで、アメリカの資本主義や大衆文化の持つ大量消費が表現されています。

特に私が、興味を持つのは、事故や死のイメージの作品です。
この展覧会でも見られた、電気椅子(死刑のために使う)の作品や、
骸骨の作品・・・ジェームス ディーンと書かれた、車の事故のイメージの素描。
彼自身は死に関してこう言っています。「人生で一番Imbarazzante面倒なこと」
これほどまでに重いことをこうも、淡々と表現できた天才アーティスト、それこそが
偉大な才能ではないでしょうか。

彼は1987年2月22日、58歳で逝かれました。
死因は胆嚢の手術のために入院した先での夜勤看護婦の不注意だったということです。
短命です。

特にこの展覧会で驚いた大作は、 銅版におしっこをかけて、腐食させて作品にしたもの。
タイトルは忘れてしまいましたが、
地の色が金のようで、緑、赤み、青に錆びていって、とても美しい作品です。
抽象の「シャドウ(影)」も巧いと思いました。これらの作品は、
ウォーホルの作品のイメージとは遠い作品ですが、
いかに実験的な作業も怠らなかったかがわかります。

ハイヒールの作品は代表的な作品ですが、カタログや写真では全く違う印象です。
印刷ではみられない、地の黒にきらきらひかる粒子の粒が敷き詰められていて、
実際にみると、更に本当にかっこいい作品です。

ウォーホルが死ぬ少し前、最後の展覧会に制作したという、白黒で線で描かれた
「最後の晩餐」や、キリストの絵もとてもよかった。何か違う技法への移行の意思が
あったのではないかと思わせます。


アーティストの言葉
アンディ・ウォーホルって人間について知りたいと思ったら、
僕の映画や絵をただ表面的に見てくれればいい。そこに僕がいるから。裏には何もないんだ。

僕はいつも人を実際よりよく描こうとする。ただ本物そっくり描く方が簡単なんだ。
僕がもっと想像力豊かなら、実物とまったく違った絵を描くだろう。

僕は子供の頃からずっと、できるだけスピーディに生きたいと思っていた
だからいつも早くできる方法ばかり探しているんだ

ああ、芸術は難しすぎる。

今日あるものを壊した。そうしたら、1週間に1回くらいは、何か壊した方がいいんだなと気づいたんだ。
生命っていうのが、いかに儚いものかが、それでわかるからだ。

僕は単に、普通のものが好きなだけだ。絵を描く時、普通のものが、
特別なものにみえるように描いたりはしない。ただ、ごく普通のものをごく普通に描こうとする。

普通のものをごく普通に・・・でもウォーホルはスペシャルでした。繊細でかっこよくて、
可愛い・・・愛すべきアーティストです。






日本でも、2月1日から5月6日六本木の森美術館で
「アンディー・ウォーホル展:永遠の15分」という題で大きな展覧会が開かれていますね。
私は行けませんが。
この永遠の15分というのは言うまでもなく、、
「将来、誰でも15分は世界的な有名人になれるだろう」という彼の残した有名な言葉からきていてます。
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by Art-Chigusa | 2014-02-01 23:31 | Mostra | Comments(0)
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ペルージャ在住 アーティスト


by C.K
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