イタリアの風:Chigusa Kuraishi Blog

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ゲルゼンキルヒェン街並み Gelsenkirchen

ゲルゼンキルヒェン(Gelsenkirchen)はドイツ連邦共和国の都市。
ルール地方に位置する工業都市。近隣の都市としては、約10キロ南東にボーフム、20キロ東にドルトムント、25キロ西にデュイスブルク、約40キロ南西にデュッセルドルフが位置している。
 歴史 [編集]19世紀までは小さな村であったが、産業革命の進展とともに急激に発展を遂げていった。20世紀に入り、ナチス政権においては、石炭の採掘や石油精錬の中心都市にまで成長していたが、それゆえに第二次世界大戦では連合国による激しい爆撃の対象となった。第二次世界大戦後は復興を果たし、最盛期には人口が40万人にまで達した。しかし、産業の衰退によって人口は減少していき、現在に至っている。
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by art-chigusa | 2011-04-19 23:16 | Comments(0)

Duomo di Colonia

Storia

Le origine della diocesi di Colonia risalgono al quarto secolo d.c. Nel 313 viene menzionato il primo vescovo noto per nome, Materno.

In questo edificio l'arcivescovo Rainaldo di Dassel(1167) fece traslare da Milano le reliquie dei Re Magi.

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ケルン大聖堂
先日仕事でゲルセンキルヘンに行ってきました。電車で1時間ぐらいのところに、
ケルン大聖堂があったので、友達が連れて行ってくれました。
「ケルンの大聖堂は一見の価値があるわよ」と彼女は言った。

ケルン大聖堂は歴史が古く、4世紀にさかのぼる。西暦313年の文書に、初めて
マテルヌス司教の名前が現れ、大聖堂が度々新築・改築されたことが裏つけられる。
現代に残るゴシック建築の大聖堂の前に、西暦870年に聖別された全長約95m、
二重の内陣を持つ聖堂が同じ場所に建っていた。

1265年に内陣礼拝室が出来、内陣全部は1300年に完成、増築されていき、
15世紀末天井7ヶ所が完成、1842年、プロイセン国王フリートリヒ・ヴィルヘルム4世が建築続行のために礎石を置き、1880年ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世臨席のもとに南側の塔の先端を飾る頂華に最後の仕上げの石がはめ込まれた。

三賢者の遺骨があったとは!
ケルン大聖堂において特にあがめられている三賢者の遺骨は1164年イタリアのミラノから送られてきたものである。当時はまだふるいほうの聖堂が残っていて、ライナルト・フォン・ダッセル大司教(1167年没)が聖骨を迎え入れた。三賢者の聖骨を礼拝するためにヨーロッパ全土からたくさんの巡礼者がケルンにやってきた。
そこで大聖堂参事会は、コンラート・フォン・ホーホシュターデン大司教(1261年没)の下に、1248年大司教座聖堂ならびに巡礼教会にふさわしい、新しい大聖堂の建立を決め、ドイツに古くからあったロマネスク様式ではなく、当時モダンだったフランスの大聖堂にみられる、ゴシック様式を取り入れた。(ミラノのドゥオモやパリのノートルダム寺院に共通の様式)

東方の3賢者は新約聖書に登場し、イエスキリストが生まれるのを、星をみて知り、
3つの贈り物(黄金、乳香、投薬)を持ってきて、拝んだとされる。
でも実際には聖書の「マタイ福音書」には「占星術の学者たちが東方から来た」と書かれているが、人数までは記されていない。

多くの絵画や彫刻で見られるキリスト誕生のシーンに描かれる3人の賢者
「博士」または「マーゴイ」(ギリシャ語でマギ)の原義は天文学者で、
西洋では7世紀に入ってから言われるようになった。
メルキオール(黄金:王権の象徴:青年の賢者)
ベルダサール(乳香:神聖の象徴:壮年の賢者)
ガスパール(投薬:将来の受難である死の象徴:老人の賢者)
この3賢者はイタリアの子供たちが知らなければならない常識でもあるから、
まだ息子が小さいときに、クリスマスの前に、一緒にキリスト生誕の絵を描いて、
この3人の名前と3つの贈り物を一緒に覚えたものだ。
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by art-chigusa | 2011-04-19 23:03 | Comments(0)

シビリアの理髪師 オペラ鑑賞

昨日仕事でパルマに夕方到着した私は、お腹がすいたので、ホテルから外へ出て、「何か食べなきゃ」と思っていると、すぐ近く、テアトロ(劇場)レッジョの前を通ったら、着飾った人が列になっていた。「何事か?」と傍の警官に聞いたら、
「今夜はオペラ:セビリアの理髪師がある」という。

長年観たい、聴きたいと思っていて、「棚から牡丹餅か」と思って、人の群れにくっついて中に入り、15ユーロで天井桟敷へ
POSTO IN PIEDI IN GALLERIAというが。
中へ入ると、超豪華なシャンデリアに綺麗な天使のテンペラの絵が天井を飾り、金の装飾がいたるところを飾っていた。ペルージャの私の友達がオペラ歌手を目指して、音楽学校で学んでいて、
「セビリアの理髪師」をよく私のために歌ってくれていたので、「フィガロ クア フィガロ ラ・・・」有名なフレーズは知っていたが、話の筋書きなど知らなかったので、面白かった。
私にとっては2回目のオペラ(初めてはカターニアだったが)なので、すべてに感動していた。

素人の私は、どういうレベルかさえ分からなかったが、翌日のガゼッタ・ディ・パルマの地元紙を読むと、「クオリティーが高い、オペラ:セビリアの理髪師」「機知に富んだ面白い上演に、観衆から熱い拍手が沸いた」と高い評価を与えていた。
主人公のフィガロはパルマの人でルカ セルシ。
指揮者の若い24歳のアンドレア バッティストーニも「色々な劇場から引っ張りだこで人気がある」と書かれていた。コンテ ディ アルマヴィーヴァ役の歌手はロシア人だったからなのか、一回間違えた部分があったようで、「疲れも許せるほどの知的な歌い手」と新聞に書いてあった、観衆から「あーあ」というため息交じりの声が上がって、私は全く気がつかなかったので、いかに観衆がよくオペラを聞き慣れている人たちかと言うことにも感動した。20時に始まって、途中休憩が入ったけれど、終わったのは、23時過ぎていた。

でもまだやっているレストランがあって、美味しいパスタに、ナブッコ2008という赤のグラスワインを飲んでただ一人私は孤独にパルマの夜を満悦した。

断片的にテレビなどで観たり聴いたりしているのを考えると、でも私の趣味はもっと暗い悲しいオペラの方が好きかな、と想像する。あーもっと色々観たいな、聴きたいな。

『セビリアの理髪師』(セビリアのりはつし、伊: Il Barbiere di Siviglia)は、フランスの劇作家カロン・ド・ボーマルシェの書いた風刺的な戯曲、同戯曲を題材にジョアキーノ・ロッシーニの作曲した2幕のオペラ・ブッファである。
このテアトロ・レッジョで、ナポレオンの妻マリア ルイジアが欲して1817年に初めて上演され、以後200年、上演が繰り返されている、人気のある「セビリアの理髪師」である。

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by art-chigusa | 2011-04-16 23:22 | Comments(0)
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ペルージャ在住 アーティスト


by C.K
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