イタリアの風:Chigusa Kuraishi Blog

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ガルシア マルケスはスポーツライターだった

イタリアのスポーツ紙
ガゼッタ デッロ スポルトのエクストラ タイムに
ガルシア マルケスがスポーツライターをしていたことが、22日付けで
記載された

1950年コロンビア人で木曜日に87歳で亡くなった作家の
ガブリエル ガルシア マルケスのお葬式が、昨日メキシコで行われた。

ガルシア マルケスはEl Heraldo にスポーツ記事を書いていた時期があった。
Barranquilla とJuniorを取材していた。大西洋に面した街のクラブで、
そこで10歳の時にマルケス自身がプレーしていて、彼もファンだった。
ヘラルド紙に、心にあるクラブの帽子とマフラーをつければ
「すぐに新しい個性が芽生える。
サポーターであることが必須のコンディションで、
完敗したらばかげていると受け止めるのだ」と語っている。

Barranquillaは、Division Mayor (セリエA)で, Juniorは2位だった。
1950年にDoradoの時代が始まった。アルゼンチンのすごい優秀な選手だった。
ヘラルドに彼のJuniorを文学に比較して書いている「偉大なディ ステファノがいて、
彼は修辞学の先生だ」その彼こそ、まさに未来のレアル マドリーの選手
 ドン アルフレドであり、ボゴタで3つのタイトルを獲得した。
ガボ(ガルシア マルケス)スポーツライターが「デビュー」
を書いていた。Juniorが2-1で勝ってディ ステファノと仲間たちは
タイトルに近づく勝ち点を獲得した。

ガルシアは健康のためにディフェンダーになった
1995年Al Tiempoにスポーツへの情熱を語っている
「バッラクイッラのカレッジ(寄宿学校)で
ディフェンダーとしてプレーしていた。なぜならその前の年にサンホセのカレッジで医者が、
健康のためにサッカーをやるように勧めたから。本をたくさん読んでばかりいて、
スポーツをしていなかったから。ヘラルドの友達で文学を愛するグループの友達と
週刊誌クロナカをつくったが、文化的な内容が、スポーツのことになっていった。
なぜならJuniorのHeleno de Freitasが表紙になれば、とても有名だったから、
ブームとなって刷られた!文学のことに戻って書いていたら、
興味がもたれなくなって週刊誌は消えた」

彼の憧れは、ブラジル人のヘレノで、Juniorの監督にもなったが、
アルコールとドラッグで39歳で病院で亡くなった。ガブリエル ガルシア マルケスは
アルゼンチンでコロンビアが勝って、1993年9月5日W杯へ出場したのを見た。
歴史に残る5-0の試合だった「狼狽を感じた。W杯でコロンビアが何ができるかと思った」
多幸症(病的な昂揚状態)ダニロ バルトゥリン医師と、
元チリの大統領サルバドール アッレンデと
ベンツの車をかけた。:ガブリエル ガルシア マルケスにとっては、
コロンビアがW杯優勝できるはずだった。
ファーストレグで敗退。Andres Escobarが、 Medellinで殺害され
マルケスはとても悲しい思いだった。
20年後、私たちが今度はマルケスと別れが悲しいように。
                                    Iacopo Iandiorio記者
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by Art-Chigusa | 2014-04-22 16:51 | Comments(0)

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by Art-Chigusa | 2014-04-20 17:00 | Comments(0)

Miart

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3月28日から30日 ミラノのアートの見本市
Miratを見に行ってきました。
思ったよりも小さい空間で、すぐに全部回れるというものでしたが、

イタリアの一般紙コリエレ デッラ セーラによると、

148ギャラリー、60の海外のギャラリーが来ていたそうです。
5500㎡

昨年はミーアートでオスカー ムリッロ
27)が2万から3万ユーロで
ロンドンのギャラリーに売れたが、ニューヨークのオークションで売れたら、今は
30万ユーロの価値に上がった記載されていました。

全体的にすっきりした作品が多かったけれど、驚くような作品には出会わなかった

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by Art-Chigusa | 2014-04-20 16:26 | Comments(0)

Omaggio a Gabriel Garcia Marquez

ガルシア マルケスが17日、亡くなった
コロンビア人の「百年の孤独」の作者。 87歳だった。
1982年にノーベル文学賞を受賞ている。

カフカについて「違う書き方をできるとわからせてくれた」とミラン クンデラに
カフカから影響を受けたことを告白している。
ヴァージニア・ウルフについても「ダロウェイ夫人」のある一節を読まなければ,
今とは違った作家になっていただろうと言っている。
ローマで「映画実験センター」の映画監督コースで学んだこともある。
1967年「百年の孤独」を発表、日本でも大江健三郎、筒井康隆、池澤夏樹、寺山修司、
中上健次などに大きな影響を与えた。

1981年に私の大好きな「予告された殺人の記録」を発表した。
マルケス自身も最高傑作だと言っている。この作品は実際に起きた事件をテーマにして
書かれたものであるが、描写が精緻であったため、事件の真相を知っているのではと、
当局に疑われたという。


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90年代に私は、東京で映画でも「予告された殺人の記録」を見て感動した。
最も好きな映画の一つとなっている。
ストーリーは今読むと時代錯誤か現代では起こりにくいと思うかもしれないが、
ドラマチックな描写、カトリック、生と死、愛と暴力、純潔・・・
すべては不思議な空想の中のようで、独特な魅力があり、とても美しく描かれる。

サンティアゴ・ナサールが殺されるかもしれないと、街のみんなが知っていた、
当時の事件を振り返りながら人々が語り継いだことを、描いている。
惨殺された男サンティアゴは街の少女アンヘラを弄んだことがあり、
アンヘラが成長し
都会から来た男の玉の輿に乗る、初夜のベットで処女ではないことを知らされ、
そのまま実家に帰されてしまう。大恥をかかされた女の家では2人の兄弟が、
サンティアゴを殺すと触れ回り、予告通り殺す。結婚を望んでいなかった
アンヘラは、追い返された、しかし
その日からサンロマンに激しく焦がれていく。
17年間の間に2千通もの手紙を書くが、
1通も読まれない。しかしその手紙をもって最後にサンロマンが、
アンヘラを訪ねるところで、物語は終わっている。またこの映画をみたくなった。
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by Art-chigusa | 2014-04-19 23:29 | Comments(0)

Addio Alain Resnais !

アディオ アラン・レネ監督
偉大なフランス人映画監督が、3月1日の夜、91歳でパリで亡くなった。
私の映画への目覚めは、アラン・レネ、そして他のヌーベルヴァーグの監督たち
ゴダール、トリフォー、シャブロル、ルイ・マル、ロメールの映画にとってだった。
80年代私は東京のアテネ・フランセ フランス語学校に夜、映画を観に通ったものだった。
いつも学校の中の映画を上映する部屋はいっぱいで、列に並んで入り、通路にしゃがんで観た。
フランス語が全く分からないのに。字幕もなかったのに。
私はいつも酔いしれていた。

アラン・レネは1922年6月3日、フランスのヴァンヌで生まれる。ブルジョワの家庭で育ったが、喘息を乗り越えるために、自由に好きなことをさせて育てられた。
49年の短編「ヴァン・ゴッホ」が米アカデミー短編映画賞を受賞。ナチのユダヤ人虐殺を主題にしたドキュメンタリー「夜と霧」で注目される。 

1959年 マルグリット デュラスの脚本の 「二十四時間の情事」(ヒロシマ・モナムール)で長編映画に進出。多くのファンを生み。議論を呼んだ。


1961年にはアラン・ロブグリエ脚本の「去年マリエンバードで」でベネツィア国際映画祭の金獅子賞を獲得。実験的アバンギャルドな独特な個性の偉大な監督であることを証明した。

数年前に私は、イタリアの俳優アルベルタッツィにこの「去年マリエンバード」のことをインタビューで聞く幸運に恵まれた。彼はイタリア語を母国語とするが、“少し違うフランス語で話す”というような細かいことが、監督はとても気に入っていたという。なぜなら
主人公のデルフィーヌ・セイリグがこの外国人と知り合うという、違和感と恐怖が伝わるからだった。そしてココ・シャネルがデザインした衣装で、セイリグは白い羽根のショールを肩から外すシーンは何を表現したかったのか、愛の暴力をエレガントに美しく表現したのだ、ということをこのインタビューで理解したのだった。私のお気に入りのシーンだった。
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「対象とする観客が少なすぎる」とのアンドレ・マルローの判断から、第14回カンヌ国際映画祭への出品を拒否されたが、同年第22回ヴェネツィア映画祭で賞を獲得。
難解と言われた作風とともに注目を集めた。
脚本家アラン・ロブ・グリエによれば、黒澤明監督の「羅生門」に触発されてこの映画を製作したという。または、芥川龍之介の「藪の中」も下敷きになっていると言われている。

今から他のアラン・レネの映画も観たいと思う。
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by Art-Chigusa | 2014-03-13 19:52 | Comments(0)

ELEMENTI

ELEMENTI (基本要素となる火、地、空、水など)

2人展がまた始まりました。伊藤順子さんと彼女の”書”と
私の絵とインスタレーションと、順子さんとのコラボレーションの作品を
展示しています。

期間中の明日は、他の会場で、”書”と”絵”の
デモンストレーションを午後5時から7時まで行います。

展覧会は

ペルージャの中心街の銀行の中
BANCA DI MANTIGNANA E DI PERUGIA
SALA P. CARATTOLIにて
10月2日から10月11日まで

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展覧会場は、「ピエトロ カラットリの部屋」という名前がついている、
古い地下室です。1700年のものでしょうか?
1703-1766に生きたカラットリは、ペルージャで生まれ、
主にペルージャの建物の建築や、装飾を手がけました。
ボローニャで勉強し、ペルージャのドゥオーモの
扉の装飾やペルージャ外国人大学の
パラッツォ ガッレンガもローマの建築家フランチェスコ ビアンキのピロジェクトを元に、
彼が手がけたということです。
アッシジのSacro Convento 修道院(1760)など、バロックの建築家として活躍した人です。

入り口は、坂になっています。
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by art-chigusa | 2013-10-09 04:15 | Comments(0)

IMMAGINI E PAROLE

IMMAGINI E PAROLE
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“イメージと言葉”、伊藤順子さんとの2人展が始まって、
もうあと数日、6月2日で終えようとしています。

今日は順子さんとの不思議な“出会い”について書きたいと思います。
ペルージャの私の家の近所に、最近、私と同年齢くらいの日本人のご夫婦が住むよう
になったと気づきました。
道でお見かけすると、2人とも、とても仲よくいつも一緒に歩いていらっしゃいます。
2人からかもし出される雰囲気は“思慮深い”感じで、“大学教授”って感じです。
俊彦さんは、県にお勤めしておられたそうですが、エスペラント言語学者です。
友達を通じて、仲良くなりましたが、どこか“寂しさ”も漂っていて、
私はそれがどこからくるものなのか、聞きたかったけれど、畏れて聞けなかったのに
天真爛漫な夫が氷を割るように、「君たちにはお子さんはいるの?」と聞いたのです。
順子さんは最愛の息子さんが4年前に突然この世を去ったことを打ち明けて
下さいました。私は順子さんと抱き合って号泣したその時を一生忘れられません。
子供を亡くす以上の悲しみがこの世にあるでしょうか?そして、その後、
私はイタリアのお母さん、マンマのことを考えました。
夫のお母さんクララは去年の今頃、亡くなりました。彼女は晩年娘を交通事故で亡くし、
夫もその前に亡くしていたため、私たちが、一緒に住もうと何回も話したのですが、
一人マルケ州のマロッタの近く、海の家にただひとりで住んでいました、
彼女は外へ出なくなり、次第にたずねる人もほどんどなく、
むりやりペルージャに呼んだときには、ボケてしまって、1週間で心臓がとまって、亡くなってしまいました。お母さんの力になれなくて、私はとても悲しかったのです。
 順子さんはまだお若く、色々なことに興味をもたれて、常に慈善事業など活発に活動されていて、明るく振舞っていらっしゃって、私はその生き方に、大変心打たれ、本当に大きな、大きな敬意を感じています。私だったらできるかしら?息子さんを失って、気が狂うほどの悲しみの中、“つよさ”は“優しさ”というのを彼女の中に感じて、偉い人だと何度も感心しています。
俊彦さんも順子さんも常に息子さんと、喜びの時も悲しみの時も、今も一緒に共に生活していらっしゃるような、息子さんが彼らの中に生き続けていて、見守って下さっているように感じます。

家で夕食を囲んだときに、葉書に“書”を書かれ、プレゼントしていただき、イタリアで日本の“書”に出会って、また感動して、一緒に順子さんの“書”と私の“絵”の共同の展覧会を企画しようということになりました。私の絵に順子さんが書を書いたり、順子さんの書に私が絵をつけたりして、新鮮な刺激を受けながら、作品が生まれました。

順子さんの息子さんは大学で法律を勉強されて、とても優秀な青年でした。国際弁護士になる夢を持って、
アメリカに留学が決まっていました。ブログに書かれていた、息子さんの文章が、俊彦さんと順子さんの努力で、本になっています。
「個独のブログ」伊藤康祐 三五館  
多くの方に読んでいただきたいと、思います。早熟な、賢い、素晴らしい青年だったことがわかります。

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この展覧会は、元教会で、1303年から1923年まで常に救済のために使われていた建物です。私はこの展覧会場に特別な何か、精神的なものを感じていて、ここでいつか展覧会をしたいと思っていましたが、多くの作家が、ここでやりたいため、予約することは難しかったのに、ちょうどキャンセルが出て、急にできることになったり、何か順子さんとの出会いだったり、今回の展覧会の実現だったり、息子さんからも、
天から助けられたような気持ちです。
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順子さんは日本女子大を卒業され、日本福祉大学、大学院を卒業され、福祉の勉強を続けられ、福祉大学で非常勤講師を続けながら、困難を抱えた子供たちへ、支援を続け、家庭文庫 “えほんのもり”を設立し、子供たちに絵や文学、音楽を通じて、地域再生に力を注いで来られた人です。そのプロジェクトの中では、この展覧会中に亡くなった
Giorgio Mustaki氏との出会いもあり、生前に
Mustaki氏は日本の子供たちのために絵を
寄付したり、順子さんを助けていらっしゃいました。Mustaki氏も順子さんも、色々な
慈善事業に参加、救済活動をしていらっしゃいます。
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by Art-Chigusa | 2013-06-01 16:09 | Comments(2)

IMMAGINI E PAROLE

IMMAGINI E PAROLE

書道家の伊藤 順子さんとの絵画と書の2人展

”IMMAGINI E PAROLE ”

「イメージと言葉」 展が

が始まりました。オープニングには多くの方々に来て頂きました。
ありがとうございました。

期間は2013年5月17日から6月2日まで

月曜日から金曜日まで 16:00-19:30
土曜日と日曜日 10:00-13:00 16:00-19:30

EX CHIESA DELLA MISERICORDIA
VIA OBERDAN, 54
PERUGIA

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by Art-Chigusa | 2013-05-20 00:26 | Comments(2)

8 Marzo dedicato A MALALA

3月8日のイタリアの女性の日、ペルージャはいつもよりお祝い事は、地味でした。
ボッカーリ市長はすべてのお祝いの行事を延期することを決めました。なぜなら、
数日前にペルージャの市庁舎の中で、そこに勤めていた2人の女性が殺害されるという
ショッキングな事件があったため、葬儀が終わるまで自粛を呼びかけました。
その中でも、ペルージャの女性解放運動団体:Comitato Internazionale 8Marzo
Associazioneは、この日、18時からペルージャ市街で
Malala Yousafzai に捧げる重要なイベントを行いました。
マララさんは15歳のパキスタンの学生で、ソーシャルネットワーク、ブログなどで、
女性の地位向上を訴えたため、メンゴラ市の学校の前で、女性が教育を受けることに反対する
Talebani組織に襲われ、殺されそうになりました。Malalaさんは2013年のノーベル平和賞の
候補に選ばれています。Peace Research Instutute 会長 Kristian Berg Harpvikenは、
女性の立場、若者の教育の権利などに勇気を持って努力したことを候補の理由にあげています。

今世界中、ソーシャルネットワークの発達で、自由に情報が交換でき、言論の自由、権利の向上に
役に立っているのでしょうが、時には危険がともなうことがあり、この場合のように暴力を受けてしまい、
守ってあげることができないのは、悲しいことです。


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by Art-Chigusa | 2013-03-09 18:34 | Comments(0)

Il Ferragosto

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Il Ferragosto e`una festa popolare che cade il 15 Agosto
in concomitanza con la ricorrenza dell’Assunzione di Maria.

Il giorno di Ferragosto e`tradizionalmente dedicato alle gite fuori porta
e spesso caratterizzato da lauti pranzi al sacco, gligliate e ,
data le calura stagionale, da rinfrescanti bagni in acque marine,
fluviali o lacustri.

Il termine Ferragosto deriva della locuzione Latina feriae Augusti
(riposo di Augusto)
Indicante una festivita`istituita dall’ imperatore Augusto nel 18.a.c.


Nell corso dei festeggiamenti in tutto l’impero si organizzavano
corse di cavalla e gli animali da tiro, buoi, asini, emuli..
“Palio dell’Assunta” che si svolge a Siena il 16 agosto..
La stessa denominazione “Palio” deriva dal “Pallium”,
il drappo di stoffa preggiata che era il consueto primo per i vincitori
delle corse di cavalla nell’Antica Roma.


8月15日はイタリアの祝日で、聖母マリアの被昇天(マリアが天に召された日)です。
イタリアではこの日前後バカンスと取る人が多く、店などはみな閉まっています。
山や海に行き、バーベキューなどをして過ごします。

この祝日は、フェッラアゴストと言いますが、これはラテン語の
フェリアエ アウグティ(アウグストの休養)の意味で,
ローマ帝国の皇帝アウグストが紀元前18世紀に定めた祝日です。

ローマ帝国の時代から、この時期に競馬などの競技が行われ、
それが今残っているのが、
シエナの“パリオ”と呼ばれる競馬は、古典的な様式で今も毎年行われ、
人気がありますが、このパリオはラテン語パリウムから来て居り、
ローマ帝国の時代には1位には
パリウム(高価な織物)が賞金として贈られたそうです。

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私も、8月15日ファッラアゴストは、友達の田舎の別荘に招待されて、
魚のバーベキューをお庭で食べたり、
お庭でエアーガンで遊びました。私も、的に当てることができて、
なかなか腕は悪くないと思いました。この夏は盗難に遭ったのに始まり、
イタリアのお母さん(姑)を亡くし、そのひとつき後に友人をも亡くすという、
失意の中にいて、なかなかこういうことがあると、絵も描けなくなり、
すべてが無意味に感じられて、ブログもお休みしてしまいました。
厳しいことを言われたら、立ち上がれなくなりそうで、人にも怖くて会いたくないし、
情緒不安定でしたが、友達のおかげで、自然の中に身を置き、
エネルギーを徐々に回復できそうな感じです。

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by Art-Chigusa | 2012-08-17 00:33 | Comments(2)
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ペルージャ在住 アーティスト


by C.K
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